「西山は、ほとんど馬だったな。牛はほとんどいなかった。」
山から馬で運材を生業を営んでいた方。
市史編纂に向けた民俗編の聴き取り、第2回。
狩猟、林業を中学校の卒業とともに始め、長年にわたり生業として営み、狩猟は今も現役。
昔、三股(三股登山口)まで木を伐りに行っていたよ。
今みたいに車が上がれる道もなかったから、馬で土橇(どそり)を引かせて運んだな。4頭いたな。
雪で滑る冬は、馬の蹄鉄にねじでアイゼンみたいに爪を付けたんだ。
橇も下りは危ないから、滑り過ぎないように橇の下にフジの弦なんかを巻いてブレーキにしたよ。
重たい時は、馬も嫌がってね。
そのたびに、叱ったり、なだめたりしてね。
重労働のときは、いいごはんをあげたりもしたよ。
大麦や豆ガラ、ゴイソ(稲わら)に小糠(コヌカ)混ぜてあげるととても喜んでね。
馬は、代掻きにも何にでも働いてくれたよ。
昭和50年くらいまでおらの家で飼っていたよ。
馬喰(バクロウ)も三郷にあったしね。
田んぼや畑にもなんにでも働いたよ。
馬を引く途中で、酔っぱらって荷車の上で寝てしまっても、起きたら家に着いててね、馬はちゃんと家まで戻ってくれるだよ。
そのうちにワイヤーができて、架線で木材を出すようになって、道もよくなって車が主になったね。
ワイヤーがない時は、八番の針金をつかっていただ。
現在においても山々の途中に馬頭観音が据えられていること、ササが茂っても馬橇の地形が残っていること、お話しを聞きながら、タイムスリップしたようなそんな時間をいただきました。