6/30、さとぷろ。学校第2講開催‼️
第2講は、午前「天蚕」、午後「まつたけと赤松」をテーマに、その取り組みや携わる人を通して里山をみつめます。

午前の場所は国営アルプスあづみの公園 里山文化ゾーン(堀金)。
朝、入口ではサルの群れがこちらを見て威嚇。
職員の方がパチンコで追い払い。ここはサルの被害が深刻。

「安曇野コクーンファーム」「やまこの学校」主催されている古田春江さんを講師にお迎えして。

【天蚕(てんさん)の歴史】
古来から日本各地の里山に野生で生きていたヤママユガ。
天明時代(1781~1788)に、長野県南安曇郡穂高町有明地方で、人が飼育を始めたことをきっかけにこの地域が「天蚕のふるさと」に。
江戸時代に始まった天蚕飼育は、明治末期に最盛期を迎え、焼岳噴火による降灰や戦争の軍演習地開発、経済的な影響を受けながらその増減を繰り返し、現在天蚕を営む農家は安曇野に2、3軒のみ。
穂高有明山山麓のこの地域も、天蚕業の盛衰とともにその風景を変えてきました。
天蚕飼育をおこなうクヌギ畑は高さ1.5mほど。
山際までクヌギ畑が続き、見通しが良く、子どもの頃、よく鈴虫を採って遊びました、という有明出身の受講生も。

【天蚕・ヤママユガの生態🐛
ヤママユガの幼虫は5回も脱皮を繰り返し、姿を変えながら大きく成長するんです。しかも最後の脱皮は繭の中で。繭を開くと中に脱皮した殻が残っているのですよ。
脱皮も頭は体と別に、最後ベレー帽子みたいに脱げるんです。
なんと、実際に繭をハサミ✂️で切って見せてくださいました(繭さんごめんね。)👀‼️

蛹になったものと、まだ蛹になっていない幼虫のままのものと2種類。
受講生も興味津々、繭の中で動く幼虫を観察🔍
繭1個はなんと700mの長さの糸。でも実際に絹糸になるのは70m。
体の中の2つの分泌腺から出た糸は、1本に合わさって出てきます。

正確には吐くのではなく、引っ張り出すといった感じ。
モスラの糸の吐き方とはちょっと違いますね🐛

【実践!天蚕飼育林を体験しよう!🌳
飼育林には、青いネットと黒いネットが二重にかけられています。そして、モンキードッグの毛も設置。
朝、入口で私たちを迎えたサルの対策。
5齢になり、繭になる直前の一番大きいときにネットを破られ、サルに食べられ、孵った卵の1割程度まで減ってしまい大きな被害に。
かろうじて生き残った幼虫と1つの繭。
今回は、みんなで1つの繭探し👀
大きな幼虫もクヌギの葉に擬態しているのでなかなか見つけられません👀‼️
10分くらい探し続けてようやく発見!!! 繭も葉っぱの裏に隠れていました。
天蚕はトリやサルに食べられてしまうので、隠れるのがとても上手。

【天蚕農家と里山暮らしを始めて】
最後に古田さんが、なぜ天蚕農家を始めたのか、今の安曇野の里山暮らしに至るまでのお話。この天蚕に魅せられ、50代のときに脱サラして、都会から当時の旧穂高町へ移住。
始めは「やったことない人が一から始めるなんて、無理に決まってる。」と言われながらも、方々に掛け合いながら勉強して。
「絹製品だけでは、経済的にも難しい部分はあるけどね。着物の時代でもないし、高級品という「絹」は、今はなかなか。でも大学や研究で、サプリメントや美容の開発もしているのよ。まだまだ可能性はあると思うの。若い人にも引き継いでいければ」と。
「本当に多くの人に助けられながら、ここまでやってこれたの。今とても充実しているんです。もっと早くこの暮らしを始めていれば、って思うくらいに。」
安曇野で「これだっ‼️」というものを見つけて、進み続けてこられた古田さんはとてもパワフル。
受講生も「仕事への情熱やこだわりが伝わってきた。」「天蚕の大変さ、新たな可能性を感じた」など多くの収穫があったようです。【午後の講座】は、後編にてご紹介。👋😁